
喜多方のあゆみ
蔵のまち喜多方は、幾多の村々が手を取り合い、
豊かな自然と伝統を積み重ねて今の姿になりました。
伝統を形作る三つの柱
喜多方のアイデンティティを支える、独自の文化と歴史。

蔵建築の粋
店蔵・蔵座敷・酒蔵・味噌蔵など、用途に応じたさまざまな蔵が建てられてきました。

醸造の伝統
近世から続く酒・味噌・醤油の醸造業。小田付には明治から操業を続ける醸造家もあります。

食の豊かさ
大正末期に始まったとされる喜多方ラーメンと、つなぎを使わない山都そば。どちらも文化庁「100年フード」認定。

新宮熊野神社 長床
喜多方市慶徳町新宮(旧慶徳村)
「長床」は修験道の言葉で、拝殿にあたる建物です。鎌倉時代の建築で、慶長16年(1611年)の地震で破損して大改造が加えられたものの、旧材がよく残されています。円柱44本が等間隔に5列並ぶ、壁のない吹き抜けの空間です。
- 国指定重要文化財
- 鎌倉時代の建築
- 大イチョウ(市天然記念物)
- 吹き抜けの44本柱
喜多方町
蔵のまちの中心。定期市の立つ在郷町として発展し、醸造業と喜多方ラーメンを育んだ地域。
岩月村
喜多方地方随一の方墳群と、明治から煉瓦を焼いた登り窯が残る地域。
上三宮村
「会津大仏」で知られる願成寺と、その門前に開けた地域。
関柴村
国重要文化財の仏像と観音堂、会津彼岸獅子の祖とされる下柴の彼岸獅子が伝わる地域。
熊倉村
江戸時代の初めに米沢街道の宿駅とされ、市が立った地域。
慶徳村
国重要文化財「長床」の新宮熊野神社と、国史跡・会津新宮城跡がある地域。
豊川村
会津三十三観音の第3番・第4番札所がある地域。
松山村
春の彼岸に舞う「中村の彼岸獅子」と、明治の蔵が残る上野家住宅のある地域。
空から見る市街地の変化
喜多方駅周辺から小田付にかけての市街地中心部(北が上)。スライダーを動かして、昔と今の空中写真を見比べられます。


出典:国土地理院 地理院タイル(空中写真(1961〜1969年)、全国最新写真(シームレス))を加工して作成
歴史のタイムライン
喜多方市が歩んできた主な出来事
市の町「小田付」のはじまり
蘆名氏の重臣・佐瀬大和守が、中田付で開かれていた市を移し、新たな市の町として小田付を開いたのが始まりとされます。毎月2と7の日に市が立つ六斎市でした。
「蔵のまち」として全国へ
1972年から写真家が各地で開いた蔵の写真展をきっかけに、1975年にテレビで喜多方の蔵が紹介されて観光客が急増。大正末期からの歴史をもつ喜多方ラーメンも全国区になりました。
この時代の出来事を見る出典
- 喜多方市「文化財保存活用地域計画」第1章(明治の大火と蔵)
- 喜多方市「文化財保存活用地域計画」第2章(喜多方ラーメン・山都そばの100年フード認定)
- 文化遺産オンライン「熊野神社長床」(長床の時代・改造の経緯)
- 喜多方市教育委員会「喜多方市小田付伝統的建造物群保存地区保存活用計画」(2020年)
- 文化庁「文化審議会答申(重要伝統的建造物群保存地区の選定)」(2018年5月18日)
- 乗りものニュース「日中に走らぬ国鉄日中線 廃止直前の記録」(日中線の開業・廃止)
- 政府広報オンライン Highlighting Japan(日中線跡のしだれ桜並木)
- 東北観光推進機構「喜多方 蔵のまち散策」(蔵の数。調査時期により4,000〜4,200棟と幅がある概数)
写真クレジット(Wikimedia Commons)
- 喜多方蔵の里の土蔵 — contri / CC BY-SA 2.0
- 蔵の軒 — Kenchikuben / CC BY-SA 3.0
- 大和川酒造の日本酒「弥右衛門」 — Gyutan lover / CC BY-SA 4.0
- 坂内食堂の喜多方ラーメン — 毒島みるく / CC0
- 新宮熊野神社 長床 — Qwert1234 / Public domain