喜多方クロニクル

「北方」から
喜多方へ

会津盆地の北、古くは「北方」と呼ばれた町。約1万5千年前の遺跡から蔵とラーメンのまちになるまでを、市の公的資料をもとにたどります。

数字で見る喜多方

数字で見る喜多方

現住人口
40,049人

令和8年9月1日現在(世帯数 15,977)

市内の蔵
4,000棟以上

合併後の市域。旧市街だけで約2,600棟と言われてきた

指定・選定・登録文化財
205件

国63・県38・市104(令和7年8月1日現在)

国登録有形文化財
52件

蔵座敷・店蔵・醸造蔵などの近代建築

小田付の伝統的建造物
193件

みせ・主屋・土蔵・附属屋など(工作物25件は別)

喜多方ラーメンの歴史
1927年〜

潘欽星氏が屋台で支那そばを売り始めた年

年表

喜多方のあゆみ

旧石器時代から現代まで30の出来事を、時代ごとにまとめました。すべての項目に出典を付けています。

  1. 約1万5千年前
    原始・古代

    市内最古の人の痕跡・塩坪遺跡

    阿賀川の河岸段丘上にある塩坪遺跡からナイフ形石器などが見つかり、後期旧石器時代後半期の遺跡と推定されています。市南東部の雄国山麓には、縄文早期中葉の「常世式」土器の標識遺跡である常世原田遺跡(県史跡)など、縄文時代の遺跡が多く残ります。

  2. 古墳時代
    原始・古代

    東日本最大級の豪族居館・古屋敷遺跡

    慶徳町の古屋敷遺跡は東日本最大級の豪族居館跡で、国の史跡です(平成12年指定)。北西の灰塚山古墳からは銅鏡や大量の鉄製品が見つかり、この居館に住んだ首長の墓の可能性も考えられています。

  3. 9世紀前半
    原始・古代

    耶麻郡の成立

    日橋川・阿賀川以北が会津郡から分かれて耶麻郡となりました。平安時代には僧・徳一の下向とともに、会津にも仏教文化が広がります。

  4. 1085年(応徳2年)
    原始・古代

    熊野神社が三か所に遷座したと伝わる

    後三年合戦で下向した源義家が、熊野神社を上三宮町岩沢(本宮)・慶徳町新宮(新宮)・熱塩加納町宇津野(那智)に遷座したといわれています。新宮熊野神社の拝殿「長床」は国の重要文化財です。

  5. 1130年(大治5年)
    原始・古代

    東北最古の銘を持つ経塚の石櫃

    慶徳町の松野千光寺経塚からは、東北地方最古となる大治5年銘の石櫃が出土しています。出土品は県の重要文化財です。

  6. 1189年(文治5年)
    中世

    佐原義連が会津に所領を得る

    三浦氏一族の佐原義連が奥州合戦の功で源頼朝から会津に所領を与えられました。当時の「北方」は、加納荘の佐原氏と新宮荘の新宮氏によってほぼ二分されていました。

  7. 1212年(建暦2年)
    中世

    新宮城が築かれる

    義連の孫・新宮時連が新宮城を築きました。城跡は「会津新宮城跡」として国の史跡に指定されています(平成21年)。

  8. 1227年(嘉禄3年)
    中世

    願成寺の開山

    法然上人の高弟・隆寛律師が開山したとされる名刹です。「会津大仏」と呼ばれる木造阿弥陀如来及両脇侍坐像は国の重要文化財に指定されています(昭和4年)。

  9. 1375年(永和元年)
    中世

    源翁が示現寺を再興

    那須の殺生石退治で知られる僧・源翁は、応安元年(1368)に慶徳寺を開き、永和元年に示現寺を再興したと伝わります。慶徳寺から示現寺へ至る道は「源翁道」と呼ばれます。

  10. 明応年間(1492〜1501)
    中世

    慶徳稲荷神社の御田植祭が始まる

    地頭・平田石見守が始めたと伝わる御田植祭は今も受け継がれ、「会津の御田植祭」として国の重要無形民俗文化財に指定されています(平成31年)。

  11. 1564年・1582年
    中世

    小荒井・小田付の町割り

    永禄7年(1564)に蘆名盛氏が小荒井の、天正10年(1582)に佐瀬種常が小田付の町割りを行いました。以後この二つの町が「北方」の経済・文化の中心になります。

  12. 江戸時代
    近世

    定期市と醸造で栄えた在郷町

    小荒井と小田付は在方の商品流通の中心「在郷町」として発展し、正月12日に小荒井、17日に小田付で初市が開かれました。商人の手で酒造が始まり、藩の専売品となった漆器や漆蝋も発展します。

  13. 1857年(安政4年)
    近世

    染型紙商・小野寺家が会津藩御用達に

    東北一円で染型紙を商った小荒井村の小野寺家が、会津藩の御用達を拝命し、型紙を納めることを許されました。

  14. 1872年(明治5年)
    近代

    会津初の器械製糸工場が開業

    喜多方製糸場が開業し、製糸業は商人たちの援助を受けて地域経済を支える花形産業になりました。

  15. 1875年(明治8年)
    近代

    「北方」が「喜多方」に

    町村の分合と改称により、それまでの呼び名「北方」が「喜多方」と書かれるようになりました。

  16. 1880年(明治13年)
    近代

    大火をきっかけに蔵が重視される

    明治13年の大火をきっかけに、火に強い蔵の存在が重視され始めました。

  17. 1882年(明治15年)
    近代

    福島・喜多方事件

    自由民権運動の高まりのなかで起きた福島・喜多方事件は、全国的にみても先がけといえる出来事でした。

  18. 1890年(明治23年)
    近代

    三津谷の登り窯と煉瓦蔵

    三津谷の登り窯が開窯し、トンネルや坑道の材料を供給する一大拠点になりました。これ以降、煉瓦を使った蔵や塀、煙突が建てられるようになります。

  19. 1904年(明治37年)
    近代

    岩越鉄道が喜多方まで開通

    郡山と新津を結ぶ岩越鉄道が郡山-喜多方間で開通しました。大正3年(1914)に全線開通、大正6年(1917)に磐越西線と改称。喜多方-山都間の一の戸橋梁(明治43年供用)は当時東洋一の規模を誇りました。

  20. 1927年(昭和2年)
    近代

    屋台の支那そば、喜多方ラーメンの始まり

    中国浙江省生まれの潘欽星氏が加納鉱山の叔父を頼って喜多方へ移り、屋台で支那そばを売り始めました。これが喜多方ラーメンの元祖といわれます。

  21. 1938年(昭和13年)
    近代

    日中線が開業

    喜多方と熱塩を結ぶ日中線が開業しました。住民の足であると同時に、与内畑鉱山の鉄鉱石を運ぶ役割も担いました。

  22. 1954年(昭和29年)
    現代

    喜多方市が誕生

    昭和29年3月に喜多方市・熱塩加納村・山都町、7月に塩川町が誕生し、翌年には高郷村が成立しました。

  23. 1958年(昭和33年)
    現代

    坂内食堂が開店

    上海食堂で修業した坂内新吉氏が坂内食堂を開きました。戦後は上海食堂や満古登食堂も支那そばを始めています。

  24. 1974年(昭和49年)
    現代

    金田実の写真展「蔵のまち喜多方」

    地元の写真家・金田実氏が蔵を撮り続けた写真展「蔵のまち喜多方」を開きました。当時の唐橋東市長は、金田氏の写真展に補助金を出したと伝えられています。

  25. 1975年(昭和50年)
    現代

    NHK「新日本紀行・蔵ずまいの町」

    放送をきっかけに蔵を目当てにした観光が始まりました。同じ年には、製糸業の最後を担った会陽製糸が閉業しています。

  26. 1983年(昭和58年)
    現代

    ラーメンが観光の主役に

    『るるぶ』7月号で喜多方ラーメンが特集され、観光客は年間20万人に。このころから市もラーメンのPRを始めました。

  27. 1984年(昭和59年)
    現代

    日中線廃止と大峠トンネル開通

    3月に日中線が廃止され、6月には国道121号の大峠トンネルが完成して米沢との新しい交流が始まりました。線路跡は現在、しだれ桜並木のサイクリングロードになっています。

  28. 1993年(平成5年)
    現代

    「蔵の里」オープン

    「喜多方蔵の里」がオープンし、この年に年間観光客が100万人を超えました。

  29. 2006年(平成18年)
    現代

    5市町村が合併し、新しい喜多方市へ

    喜多方市・塩川町・山都町・熱塩加納村・高郷村が合併し、現在の喜多方市が誕生しました。

  30. 2018年(平成30年)
    現代

    小田付が重要伝統的建造物群保存地区に

    8月17日、小田付地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。江戸時代末期までに成立した道路・水路・宅地割の上に店蔵などの土蔵が並ぶ、在郷町・醸造町の町並みが評価されています。

国指定・選定の文化財

国が守る喜多方の文化財

市内には国・県・市の指定、選定、登録を合わせて205件の文化財があります(令和7年8月1日現在)。そのうち国が指定・選定したものを紹介します。

願成寺 本堂写真: 願成寺 本堂
重要文化財(彫刻)昭和4年4月6日 指定・選定

木造阿弥陀如来及両脇侍坐像(会津大仏)

もくぞうあみだにょらいおよびりょうきょうじざぞう/願成寺

嘉禄3年(1227)に隆寛律師が開山したとされる願成寺の本尊。「会津大仏」の名で親しまれています。本堂・旧阿弥陀堂・山門は県の重要文化財です。

新宮熊野神社 長床写真: 新宮熊野神社 長床
重要文化財(建造物)昭和38年7月1日 指定・選定

熊野神社長床

くまのじんじゃながとこ/熊野神社(慶徳町新宮)

新宮熊野神社の拝殿にあたる建物。平安時代末期の創建と考えられ、鎌倉時代中期以降の隆盛を物語る宗教美術品を多く伝えています。熊野神社が所有する銅鉢も国の重要文化財です。

重要文化財(建造物)昭和57年6月11日 指定・選定

勝福寺観音堂

しょうふくじかんのんどう/勝福寺

勝福寺には観音堂のほか、木造不動明王立像・木造毘沙門天立像・銅鐘(いずれも県指定)も伝わります。

重要文化財(彫刻)昭和3年4月4日 指定・選定

木造薬師如来坐像

もくぞうやくしにょらいざぞう/中善寺

市内の国指定文化財のなかで最も早く指定された仏像です。

重要文化財(工芸品)昭和35年6月9日 指定・選定

椿彫木彩漆笈

つばきぼりもくさいうるしおい/示現寺

源翁が再興したと伝わる示現寺に伝わる笈(おい)です。

史跡平成21年7月23日 指定・選定

会津新宮城跡

あいづしんぐうじょうあと/慶徳町新宮

建暦2年(1212)に新宮時連が築いた城の跡。南には新宮熊野神社が鎮座し、一帯は会津北西部の中心地だったと考えられています。

重要無形民俗文化財平成31年3月28日 指定・選定

会津の御田植祭

あいづのおたうえまつり/慶徳稲荷神社お田植まつり保存会 ほか

明応年間に始まったと伝わる慶徳稲荷神社の御田植祭を含む、豊作を祈る祭りです。

重要伝統的建造物群保存地区平成30年8月17日 指定・選定

小田付伝統的建造物群保存地区

おたづきでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく/約15.5ヘクタール

天正10年(1582)の町割りを今に伝える醸造の町。みせ・主屋・土蔵など193件の建築物と、門や市神石など25件の工作物が伝統的建造物になっています。

国登録有形文化財

建てられた年で見る、喜多方の蔵

市内の国登録有形文化財は52件。その多くが店蔵・座敷蔵・醸造蔵です。江戸時代末期から昭和初期まで、建てられた時期の違う蔵を並べました。

建築時期名称
天保13年(1842)冠木商店質蔵
嘉永7年(1854)冠木商店主屋及び座敷蔵
明治9年(1876)上野家住宅主屋・調度蔵
明治18年(1885)旧嶋新商店一号蔵・二号蔵及び三号蔵
明治37年(1904)若喜商店煉瓦蔵・座敷蔵
大正5年(1916)若菜家住宅煉瓦三階蔵
大正12年(1923)旧甲斐家住宅蔵座敷・店蔵・醤油蔵
昭和3年(1928)井上合名会社醸造蔵
三つの柱

喜多方を形作る三つの柱

蔵の文化

暮らしと商いを支えた建物

酒蔵・味噌蔵・醤油蔵・漆器蔵といった地場産業と結びついた蔵のほか、店蔵や座敷蔵など用途はさまざま。温度と湿度を一定に保つ蔵は、醸造業で重要な役割を果たしてきました。

喜多方ラーメン

屋台の支那そばから

大正末期から昭和初期、中国から渡ってきた一青年が屋台で売り歩いた支那そばが元祖といわれます。麺は「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれる、水分を多く含ませて寝かせた幅約4mmの太麺が特徴です。

醸造の歴史

飯豊の水と穀物

飯豊山系の水と穀物に恵まれ、酒・味噌・醤油の醸造業が栄えました。江戸時代には商人の手で酒造が始まり、小田付は今も「醸造町」の町並みを残しています。

人物

喜多方ゆかりの人々

社会福祉の母

瓜生 岩子

小田付村の出身。「社会福祉の母」といわれ、明治の喜多方が生んだ時代を先取りする人物の一人です。

社会教育家

蓮沼 門三

山都町相川の出身。生涯学習の理念を唱えた社会教育家です。

喜多方ラーメンの元祖

潘 欽星

中国浙江省生まれ。19歳で来日し、昭和2年に喜多方で屋台の支那そばを始めました。

「蔵のまち」を伝えた写真家

金田 実

蔵を撮り続け、昭和49年に写真展「蔵のまち喜多方」を開催。翌年のNHK「新日本紀行・蔵ずまいの町」につながりました。

歴史クイズ

読んだ歴史をクイズで確かめる

答えはすべてこのページの年表と文化財の中にあります。

歴史クイズ

第 1 問 / 全 8 問

「北方」という呼び名が「喜多方」と書かれるようになったのはいつ?

住民の声

住民の声、街の響き

喜多方で暮らす人々が、日々の質問に答えてくれた言葉です。

質問

喜多方の「蔵」の風景、あなたにとってどんな存在ですか?

一応、実家にあるが、そんなに使わないかな

Sat
2026-04-29

あなたの家の歴史を、
街の記憶に。

古い写真、代々伝わる話、蔵や商いの思い出をお寄せください。このページの記述に誤りを見つけた場合も、出典とあわせてお知らせいただけると助かります。

参考資料

年代や由来には諸説あるものがあります。このページでは上記の資料に書かれている内容に限って掲載しています(2026年10月確認)。

写真クレジット(Wikimedia Commons)